「もどきくんのお母さんってきっと美人だね。」
「なんで?」
「だって、いつもお弁当おいしそうだもん」
「昨日のすき焼きの残りを単に卵で包んだだけじゃん。」
何気ない高校時代の会話だが、20年以上経った今でも覚えている。
田舎のおばちゃんらしく化粧っけなどまったくないし、40歳近くで俺を産んだので白髪も目立った。他のクラスメートにとっては美人どころかお婆ちゃんに近かった。
俺が大学生のとき、最初に乳癌を宣告されたときも、自分で入院の準備をし、勝手に入院し勝手に手術し、勝手に帰ってきた気丈な母親だった。
後でその話をすでに嫁いでいた姉から聞いて、二人で笑った。
癌という驚きはあったが、まだ心のどこかで母親は不死身だと思っていた。
大学4年生のとき、生まれて初めて
母の日にカーネーションを贈った。
「いつもありがとう」
たった8文字しか書いてない電報と共に。
たったそれだけでもものすごく喜んでくれた。
結局、それが最後の母の日になった。
親孝行したいときには親はなし。
分かっていても親は不死身だと思っていた。
あんなことで喜ぶなら、もっといっぱいしてあげたいことがあった。
と後悔すると同時に、たった8文字の電報でも、たった一輪のカーネーションでも送っておいて本当に良かった。
presentには、現在という意味もある。
何もできなかったと過去を後悔するより、
今の感謝の気持ちを今、形にしてあげませんか?